大人のルールと毒親

パンが嫌い

 

小学校に上がると給食がありかなりの頻度で食パンが出されました。

トーストされていない食パンです。

私の家庭では母親が必ずトーストしてくれ出してくれていたので、トーストされていない食パンを食べるは初めてでした。

それが非常に不味く毎回給食の時間内には食べ終わりません。

「残さず食べるように!」

先生は言います。

この頃の学校教育は先生が絶対であり、逆らったりすることは出来ず渋々昼休みも使い食べていましたが、友人は校庭に遊びに行き残された者は惨めな思いをするばかりで、食事に関してはネガティブな印象になっていきました。

そして、大人になった今でもトーストされていない食パンは口にしませんし、食に関心が持てません。

 

強制が齎す結果

 

思い返せば、子供の頃に嫌だと感じながら大人に無理矢理強制されたことは今でも好きではありません。

例えば、水泳。

未だに濡れることさえ嫌いです。

このように嫌だと感じることを幼少期に強制する意味はどこにあるのでしょうか?

大人は強制し無理やらせた結果子供がどのように反応するかまで考えてはいません。

全ては大人の都合なのです。

その大人の都合が今のあなたにまで通じています。

何かを極端に嫌ったり、受け付けなかったり…それはあなた自身のせいではなく、もしかしたら幼少期の「強制」に原因があるかもしれません。

 

アイデンティティーが形成されるのはまさに幼少期。

性格の根底は遺伝と環境。

つまり、あなた自身を作るものは幼少期どのように過ごしていたかということです。

 

強制しない教育法

 

子供は親を選ぶことができません。

すなわち、あなた自身に対する教育法も選ぶことは出来ません。

しかし、あなたが今後自分の子供なりを教育する立場になった時思い返して欲しいのは強制が齎す結果です。

大人が作った理不尽なルールを強制された結果、繊細な子供は大人との間に隙間が生まれいつしかそれが消えない痣のように心を縛るものになることを知って欲しいのです。

 

教育する立場になった時、その子供の将来を担うことと同じですから子供にとって本当に居心地の良い教育をすることで好き嫌いの少ない分け隔てない人間に育つようあなた自身の経験を踏まえて接して欲しいと心から思います。

将来苦労するのはあなたではなく、あなたから教育をされた子供なのですから。

 

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